Surf City(辻堂)| 湘南 Story | Car Topper | Warm Breeze | Blow Up |

おかえりなさい

夢のサーフシティに戻ってきました1970年夏、東海道線から辻堂駅のホームにおりると、そこには圧倒的な夏の光がふり注いでいた。
甘く、かすかに埃っぽい乾いた風が焼けた線路から流れている。
小学校高学年とおぼしき少年2人は改札を抜けると、まぶしそうに目を細めて真っ青な空を見上げた。


彼らは今日から10日間、この街のレジデントとなって、夏休みを楽しむのだ。
背の高いほうの少年が線路ぎわの路を指差すともう1人は小さくうなずいた。
2人ともストライプのBDシャツに綿の細いパンツを履いて、足元はコンバースのバスケットシューズを履いている。

ハワイのサーフショップ子供のくせにお洒落な奴らだな(笑)
Madison Squere Garden のバック(おお!)を手に持って少年たちは線路ぞいの路をトコトコ歩き始めた。


辻堂のH学園のすぐそばに母親の実家があり、そこまでは徒歩20分くらいはあるが、藤沢の駅からバスを使うより、辻堂から歩いていくほうが彼らは好きなのだ。
白いペンキを塗った平屋と松の林が多い住宅街を歩いていると、彼らの住む東京の下町とこの街の環境が違うことは子供にでも理解できる。


当時の辻堂は、鎌倉や鵠沼のような伝統のある高級住宅街と茅ヶ崎のパシフィックホテルに代表される新しいムーヴメントのはざ間にあり、まだのんびりした人けのない街だった。

烏帽子岩の姿は変わっていません少年たちは途中で7Upを買って飲みながら一休みした。
シャツの袖で額の汗をぬぐうと2人は売店のベンチから立ち上がり、凶暴な夏の日差しの中を歩き始めた。
母の実家の前に到着すると従兄弟の芦沢兄弟がキャッチボールをしている最中だった。
2人は裸足でキャッチボールをしている、当時の湘南では当たり前なんだけど・・・


少年たちは嬉しそうに挨拶を済ませると、荷物を持って玄関に上がった。
そして祖母にお土産を渡し、2階の部屋でシャツを脱いで着替えを始めた。


2階の窓からは遠くに湘南の海が見える。
午後の海を眺めていると、明日からはこの海を独占できるのだという不思議な実感が少年の心に湧いてきた。

湘南キャンプで

この男も昔から変わっていません少年たちが夏休みを過ごす芦沢家は茅ヶ崎で事業を営んでおり、叔父夫婦は留守がちであったため、子供の世話など家事全般は祖母が1人でまかなっていた。
従兄弟の芦沢兄弟と少年たち2人の総勢4人は祖母の監視の下でのんびりした夏休みを送ることになった。


彼らの生活はある意味では規則正しいもので、朝は6時に起きて4人で海に行き地引網を手伝うことから始まる。
辻堂は波が荒く、海流も早いため海水浴場にはなっておらず、海岸の砂も粒が粗く黒っぽい色をしていた。


当時は地引網も観光客用ではなく、地元の漁協が行っていた。
子供といえども手伝えば立派な人足で、なんらかのおこぼれにはありつけるのである。
少年たちは味噌汁の出汁とり用に蟹を貰って帰るようにしていた。
蟹のお土産を祖母は鍋に放り込んで朝食用の味噌汁を作ってくれる。


少年たちは普段味わえない味覚に驚くばかりだったが、従兄弟たちは笑ってそれを見ている。
「そんな驚くことないじゃん!」と祖母までが言い出して5人の食卓は賑やかである。
食事の後は宿題をやって、お昼ご飯の後は海に泳ぎに行くことが日課になっていた。

35年後に新しい仲間と訪れました少年たちは海水パンツにタオルを引っ掛けて裸足で海に出かけていく。
手に麦茶の入った水筒と自分の身長ほどの長さのベニヤの板切れを持っていくのだ。
朝の時点で波のチェックは済んでいるから、ベニヤの板でサーフィンする順番を決めながら海までの10分を歩くのだ。


いくら子供が乗るといっても厚みが1cm程度のベニヤ板の浮力では沈んでしまう。
ショアブレイクでプカプカ浮かびながら波待ちして、上手く波に乗れれば波の力でちゃんと板は浮くのである。
タイミングが合わなければそのまま沈んでしまうけれどね・・・
それでも少年たちは器用に波に乗り、ワイプアウトしても怪我もせず、楽しんでいる。
時に本物のサーフボードに乗っている若者が来ると、少年たちは憧れの眼差しでその姿を眺めていた。


いつか大人になったら僕たちも本物のサーフボードに乗れるんだな・・・

湘南の風になびくアロハシャツ遊び疲れると少年たちは穴だらけの134号線をわたって、松の防風林の続く路を歩いて帰路につく。
熱い午後の風がセミの声を乗せてゆっくり流れている中、心地よい疲労感に包まれていると不思議な幸福感が胸に迫ってくる。
道路の左手ではホテルの建物が夕日を浴びながら、さりげない素振りで少年たちを見守っていた。


家に帰ると玄関の前の水道で頭から水を浴びて縁台でスイカを食べる。
あとは夜になるまで昼寝をしたりキャッチボールをして過ごすだけだ。
そうだ、波乗りに使ったベニヤ板をヤスリで削っておこう、ささくれが刺さると痛いからね(笑)


晩御飯の後に、少年たちはカンテラの用意をして夜釣りに出かける。
昼間、海で採ってきた小ぶりな蛤を餌にして黒鯛を狙うのだ。
夜になると黒鯛は岸のそばまでやってくるので、海岸からの投げ釣りで狙うことが出来る。
もっとも、毎晩通ってもなかなか釣れるものではないが、少年たちは夜の海を眺めながらお喋りするだけで満足なのだ。
夜の海は神秘的な魅力があり、少年たちはショアブレイクの音を聞きながら海に向かってなびく焚き火の炎をじっと眺めている。


あまり遅くなると祖母が心配するので早めに切り上げるが、月夜はカンテラが必要ないくらい明るい。
さあ、明日も早いから早く寝ようね。

飛んでる家

また、近いうちに遊びに来るからね少年たちの休暇は数日過ぎたが、その間に起こったことは夜釣りで小ぶりな黒鯛が釣れたことと、日焼けで背中の皮がむけたことくらいで、少年たちはのんびりと夏休みを過ごしていた。
週末にダディとママが少年たちを迎えに来る予定だが、楽しかった日々はいつも突然に終わる。


ダディは本国に帰国する大使館職員から格安で譲り受けたご自慢のフォードでやってきた。
アロハシャツにフラノの太めのパンツ姿で車から降りると、祖母は「呆れた」って顔でダディと自分の娘を迎えた。
ダディはサングラスを外すと、祖母を大袈裟なアクションで抱きしめた。
子供たち4人は照れくさそうな顔でダディを見つめている。


ダディは少年たちに向き直り、海に遊びに行こうと声をかけた。
ママと祖母は車から荷物を降ろしながら談笑している。
ダディはさっさと着替えを済ませ、アロハシャツにトランクス姿になってサンダル履きでアイスボックスを担いでいる。


今日は5人で海に遊びに行くのだが、海まで歩いていく間にダディは少年たちの話を聞きながら低く笑っている。
海に着くとダディは一直線に沖まで泳いで行って少年たちを手招きした。
少年たちは競争でダディのいる沖まで泳ぐが、その速度は遅い。
今日の海は波が大きく、うねりに力があるからだ。

湘南Storyはまだ続きますダディは少年たちが集まるのを待って、一人一人の泳ぎ方に注意を与え、岸まで泳いで帰らせた。
泳ぎ疲れてコーラを飲んでいると、サーフィンをしに来た若い外国人の3人組がやってきた。
タバコを切らせてしまったので分けてほしいというのだが、サーファーたちと少年たちはすでに顔なじみだ。
ダディはブロークンな英語で、タバコとコーラと引き換えにサーフボードを貸してほしいと切り出した。


そして、少年たちは生まれて初めてサーフボードに乗ることが出来たのだ。
1人2回ずつだが、少年たちはいつものベニヤ板と違うサーフボードの浮力とスピードに驚いていた。
ダディと3人の外国人サーファーは岸で少年たちのライディングを見ながら大笑いしている。


やがて少年たちは興奮しながら戻ってきた。
サーフボードの性能に驚いているのだ。
ダディはお礼を言ってサーフボードを返すと少年たちに向かってウィンクした。
それは少年たちにとって忘れられない、この夏最高のシーンだった。


その日の夕方、少年たちは両親と供に車で帰宅することになった。
フォードのリアシートに乗り込むと、少しだけ淡くなった夏の日差しが低く差し込んでいる。

Car Topper(腰越)へ窓を開けて従兄弟たちと祖母に手を振るとフォードはゆっくり走り始めた。
ダディは遠い目をしながら134号線に滑り込むと、少年たちに小さくうなずいた。
フォードが加速を始めると、少年たちの休暇は徐々に遠くにかすんで行った。

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