フェンスの向こうのアメリカ| Tony Who? | Tony and Joey | Mission Completed | The Scene Changes |

私の父は六本木生まれの六本木育ちでした。
実家の家業が自動車の修理工場だった関係で、戦時中だというのに英語のマニュアルを読んでいたらしく、英語は得意だったそうです。
実際の会話を聞いてみると、むちゃくちゃブロークンですが通じる英語ではありました。
この点、shinと私の英語もまったく同じですね(笑)。


さて、私の父にとって終戦後はわが世の春で、駐留米軍関係の仕事を始め、六本木の周辺をシボレーで走り回るようになりました。
当時の六本木は駐留米軍の本部があったくらいですから、日本人オフリミットみたいな場所も多かったのですが、父はダンディーなスーツ姿ですべて顔パスだったようです。
もともとが、地元では有名な暴れ者ですから、軍人に混じって荒っぽい仕事をこなしていたのでしょう。


そんな遊び人の父でしたが、世の中が安定してくると、さっさと方針転換しまして、今度は中央官庁に就職してしまいました。
写真は全て1950年代に撮影されたものと推定されます。

Tony Who ?恐らく、市ヶ谷にあったパーシング・ハイツ(米軍施設)のパーティの時でしょう。この頃にはトニーと呼ばれていたようです。


左端でビール片手にスカしています。

Tony and Joeyギャング映画が好きだったのでかなり影響されているみたいですね。お隣に写っているのは従兄弟の録次郎さんです。


バックの車は何でしょうか?車種がわからないもので・・・
ご存知の方がいらっしゃいましたらぜひ教えてください。


コートを着てポーズです。

Mission Completed米軍関係の仕事のため、シボレーは使い放題だったようです。


アロハシャツも大好きだったようで・・・


私もかなり影響されました。

The Scene Changesまだ、独身時代で私が生まれる前の写真です。


1950年代はまだ日本がまだ貧しかった時代ですが、一部にはこんなカップルも存在したんですね。


自分の両親とは思えないカッコ良さです。


Galleryのikeと見比べてください(泣)

父の影響

私が子供の頃の記憶を呼び戻すと、夏の夕方にアロハ姿の父がギターを弾きながらビールを飲んでいるシーンが甦ります。
夏の終わりの爽やかな風に吹かれて自分の時間を楽しんでいる父の横顔、少しだけ遠い目をしていて、米軍の嘱託時代の追憶に浸ってたのかもしれません。

Tony Who ?へいささか悔しいですけど、まだまだ、私なんかの遊びのキャリアではあの表情って出せないですね。
私も20代からアロハシャツを愛用していますが、なかなか、スマートな着こなしが出来ないので悩んでいます。
もう40代なのに味が出ないんですよね。
そんな私がアロハシャツのサイトを立ち上げたのですから困ったものですよ・・・

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